セルティックFCとは

セルティックFCは、世界中にサポータズクラブがあって、世界中に熱狂的なサポーターがいることで有名なチームです。

日本のサポータズクラブは、東京CSC(セルティック・サポーターズ・クラブ)が2001年7月に発足していて、アイリッシュパブなどに集まって試合観戦しています。

日本でも随分馴染みのあるクラブチームになってきましたが、セルティックはどのようなチームなのでしょうか?

では、簡単にですが、セルティックというクラブについて紹介してみますね。

まず、クラブの正式名称は、CelticFootballClubといいます。
そして、The Hoops. The Bhoysという愛称があります。

ホームタウンは、スコットランドのグラスゴー。
設立は1888年で100年を超える歴史がある名門チームです。

ホームスタジアムは、セルティックパーク。
通称パラダイスとも呼びます。

収容人数は6万832人収容と非常に大きいスタジアムです。
このスタジアムに1938年のレンジャーズ戦では92000人、その前年のスコティッシュカップでは何と14万7千人のサポーターが詰め掛けたそうです。

収容人数をかなり越えているのですがどうような状況だったんですかね。

クラブカラーは、白とエメラルドグリーンの横縞模様です。
カラーに関してはもうお馴染みですね。

クラブの代表者はブライアン・クイン氏で、現在の監督はゴードン・ストラカン氏です。

ユニフォームメーカーはナイキで、ユニフォームスポンサーの「CARLING]はビールの会社です。
先日、契約が2010年まで延長されました。

スポンサーは、ナイキ、CARLING、T-Mobille、UK、SANYOなどです。

このような感じです。
歴史と伝統のある世界レベルの人気クラブであることは間違いありませんね。

セルティック本拠地スタジアムへのアクセス

セルティックには日本人選手(中村選手や水野選手など)が在籍していますので、日本から試合を観戦しに行きたいという人もいるかもしれませんね。

そういった方のために、セルティックの本拠地であるセルティック・パークへのアクセスについて書いてみたいと思います。

まず、セルティック・パークの場所ですが、グラスゴーのパークヘッド地区にあります。
市内からは東へ約2.5Kmほどのところですね。

では、交通手段別のアクセスについてです。
高速道路で北および南から来場するケースをみていきます。

この場合はまず、M74、あるいはM73からM74(East)を目指し、トールクロスの最終点まで行きましょう。

そしてロンドン・ロードを市内の方向に1.6Kmほど進むとスタジアムに到着します。

続いて東および西からの高速道路の出口から来場する場合。
この場合は、M8の12番〜14番出口で高速道路を降ります。

次にグラスゴー市内よりバスでいく場合。
グラスゴー市内から、スタジアムに行くのは43番、61番、62番のファースト・バスです。

電車でクイーン・ストリート駅からいく場合は、まず、クイーン・ストリート駅から乗車します。
そして、ベルグローブあるいはカーンタインで下車しましょう。

そこからスタジアムまでは徒歩でおよそ20分です。

グラスゴー市内から電車でいく場合は、グラスゴー・セントラル駅あるいはアーガイル・ストリート駅で乗車します。

そしてダルマーノックで下車しましょう。
そこからスタジアムまでは徒歩でおよそ10分です。

セルティックビジターセンター

セルティックのホームスタジアムであるセルティックパークには、セルティックビジターセンターという場所があるのを知っていますか?

ここは、1888年の創立から現在に至るまでの、セルティックの歴史と伝統を知ることができる場所となっているんです。

世界的に有名なクラブとなっているセルティックの伝統や文化について直に体験してみるのもいいのではないでしょうか。

このセルティックビジターセンターを訪れることによって、スタジアムのガイドツアーのみならず、有益でかつ印象的なホールや展示場を通じ、クラブの歴史について知ることができます。

このビジターセンターでは、コーチツアーなるものも行われているそうです。
個人客から家族客、団体などすべての人を歓迎しています。

ちなみにツアー時間ですが、月曜日から日曜日までの11時、12時、13時45分、14時30分となっています。

ただし、ホームで試合がある日は行われないので注意が必要ですね。

ツアー料金は大人料金で8.50ポンド、割引料金で5.50ポンド、そして、ファミリーチケットで20.00ポンドとなっています。

ファミリーチケットは大人2人、子供2人、あるいは大人1人、子供3人です。
なお、5歳以下の方は入場が無料です。

ツアーの予約は電話(予約料金は不要)で行うことができます。
あらかじめ予約をしておくことをお勧めします。

団体予約に関しては、予約ホットラインまで問い合わせください。

セルティックふりかけ

中村俊輔選手らの活躍で、セルティックは日本でも有名なクラブになりました。

その影響もあり、日本でもセルティック関連のオリジナル商品が出たりしているのを知っていますか?

例えば2006年に密かに出回っていた「セルティックふりかけ」。
もう既に知っている方もいるかと思います。

しかし知らないという方もたくさんいると思うので、簡単に紹介してみます。

TVや雑誌で宣伝もないし・・・何だこれは?と一瞬驚いてしまう日本で手に入るセルティックグッズ(セルティック食品?)。

これは実は正式なセルティックのタイアップ商品であり、田中食品という企業が製造した「たまごふりかけ」なんです。

単なる卵ふりかけ・・・なのですが、これが中々凝っているんですよね。

まず、ふりかけの袋ですが、セルティック風の緑の横縞模様で、中村俊輔を中心としたセルティックの選手の写真がプリントされています。

そして、中を開封すると8つの小袋に別れていて、その一つ一つにも選手、監督の写真などが約20種類もプリントされているというセルティック好きにはたまらない逸品です。

まあ、味の方は特に特徴があるわけではなく、ごく普通の卵ふりかけなのですが。

この商品が出回った時には「ショップ99」などで販売されていました。
残念ながら限定商品なので、現在では手に入れるのは困難なようです。

セルティックの選手も、まさか自分の写真入りふりかけが日本で販売されているなんて思ってもみなかったことでしょうね。

その前に「ふりかけ」自体が何なのか判らないかもしれませんが。

セルティックの永遠のライバル・レンジャーズ

スポーツチームには、どのチームにもライバルチームというものが、ひとつは存在しているものだと思います。

セルティックにも永遠のライバルというべき大きなライバルクラブが存在します。

スコットランドのグラスゴーにはセルティックの他にも、レンジャーズというチームがあります。

セルティックというクラブはカトリック系であり、ケルト人の末裔のスコットランド人(ゲール人)に多く支持されています。

また、同じ背景を持ったアイルランド、北アイルランドなどにも根強い人気を誇っているクラブです。

一方でレンジャーズというクラブは、アングロ=サクソン系であり、イングランド国教会派の英国連合を支持している連合主義者(ユニオニスト)に多く支持されています。

このようにセルティックとレンジャーズの関係は、宗教的なことだけではなく、英国連合の政治的な面、民族的な関係も含み、非常に複雑な背景があるんです。

そう簡単には語ることができない問題ですね。

なお、そのライバル関係を「オールドファームダービー」と呼ぶことが一般的です。

この両チームによるグラスゴーダービーは世界で最も危険なダービーとも言われており、昔から両サポーターも非常にヒートアップする大きなイベントとなっているんです。

最近は幾分マシになりましたが、以前は死者が出てしまうほどの熱狂ぶりで、試合後も要注意です。

日本のチームと違って、グラスゴーという街に、二つの強豪ライバルチームが存在しているため、いろいろ危険な点が多いです。

例えば、勝利したからといって、試合後にユニフォームを着用して街を歩いたり、飲食店に入ったりすることは危険です。

セルティックのホームのグラスゴーとは

セルティックFCが本拠を置くグラスゴーという都市はどのようなところなのでしょうか?

グラスゴーは、スコットランドで最大の人口(80万人)を抱える産業都市であり、クライド川と呼ばれる大きな川の岸辺に発展した街です。

中心部はその北側に位置しています。
建築家・マッキントッシュによる建築郡や、欧州有数の美術館などがあり、芸術の街としても名高い面があります。

中村俊輔選手がかつていたイタリアの人々は陽気で観光客に対しても気軽に声をかける人が多いです。

しかし、スコットランド人はイタリア人と比較するとややシャイな感じがします。
中年男性には「紳士」のイメージが。

セルティックパークの場所ですが、グラスゴー南東・イーストエンドのパークヘッド地区にあります。
セントラル駅からはスコットレールで約5分ですね。

ブリッジトン駅で下車すると、徒歩10分の所にあります。

6万人も観客が入るセルティックパークですが、それでも毎回満員になるのが凄いですね。

そのほとんどが年間シーズンチケット保持者ということからも、セルティックというクラブがどれほど愛されているのかが伺えますよね。

グラスゴーの気候は、西岸海洋性気候(夏でも涼しく朝晩などは肌寒い程)。
夏の日没は夜9時〜10時で、冬の日没は4時〜5時半です。

冬場の日照時間はかなり少なく、この時期は太陽の光が本当に貴重です。
逆に夏は夜になっても明るく、白夜となります。

またスコットランドという国は、雨の日が多いんです。
雨量が多いというより、霧雨がいつも降っているような感覚でしょうか。

元セルティック名プレーヤーのラーション

その長い歴史の中で、セルティックからたくさんの名選手が生まれました。
ヘンリク・ラーションもそのひとりです。

ラーションは1971年9月20日にスウェーデンのヘルシンボルグに生まれました。
地元のチームでプレーしたあと、93年にオランダ・フェイエノールトに移籍し、その後1997年にセルティックのプレーヤーとなりました。

そして、04年にスペイン・バルセロナに移籍するまで、7年間で通算315試合出場242得点という驚異的な成績を残したのです。

ラーションのセルティックの選手としての初ゴールは、実はハイバーニアンとのデビュー戦でのオウンゴールでした。

交代選手としてピッチに登場した直後、相手選手にボールをパスしてしまい、スコアされてしまったんです。

それでもラーションの得点力は瞬く間に認知され、当時レンジャーズの全盛期であったスコットランドリーグにおいて、1998年に10年ぶりにセルティックをリーグ制覇に導きました。

99年11月には、足を骨折する大怪我を負ってしまいますが、辛抱強くリハビリに励み、翌年に見事チームへの復帰を果たします。

そして新マネジャーのマーティン・オニールのもとで、セルティックはスコティッシュプレミア、リーグ杯、CIS杯の三冠を成し遂げることとなりました。

その後、ラーションはファンの涙を背に感じつつ(ラーション自身もラスト試合の後、涙を見せた)、04年にバルセロナに移籍しました。

ちなみにゴール後に飛行機のごとく両手を広げるパフォーマンス、そして、舌出しパフォーマンスはラーションのトレードマークです。

セルティックパークがパラダイスと呼ばれる理由

セルティックの本拠地スタジアムの名称は、セルティックパークですが、別名「パラダイス」とも呼ばれています。

何故、このように呼ばれているのでしょうか。
実はそれには次のような理由があったんです。

セルティックの初の試合は、1888年に行われましたが、当時のスタジアムは実は間借りで、近隣住民により整備された簡素なスタンドしかないという2千人規模のスタジアムで行われました。

しかし、1891年に地代が上昇したため、自前の土地で新スタジアムを持つことをセルティックは決断します。
名前はそのままで、近くにあった現在の場所に移転したのです。

新スタジアムはボランティアによって建設され、墓地のすぐにありました。
そのため、サポーターは冗談交じりでスタジアムのことを「パラダイス」と呼んだのが由来のようですね。

しかし、チーム誕生以来数々のタイトルを獲得してきたセルティックだけに、セルティックパークはサポーターにとってまさしく「パラダイス」であるのです。

1931年の「オールドファームダービー」にて、GKのトムソンがレンジャーズのFWの両足に勇敢に飛び込みました。

すると、接触でトムソンの首の骨が折れ、そのまま亡くなってしまったんです。
以来、スタジアムのゴールポスト付近にはトムソンの亡霊が出るともいわれているそうです。

また、観客数の最高記録は、これもまた1938年の「オールドファームダービー」であり、このときは9万2千人を記録しています。

所属しているスコットランドリーグ

日本でもかなり知名度が上がっているセルティックですが、スコットランドリーグについてはそれほどよく知らないという方が多いのではないでしょうか。

スコットランドのサッカーは、スコティッシュプレミアを最高峰に、1部、2部、3部の3部制の下部リーグが存在します(下部リーグのチーム数はそれぞれ10。計30チーム)。

スコティッシュプレミアは1890年に創設され、イングランドプレミアリーグの次に、世界2位の長い歴史を持つリーグなんです。

なお、第一次世界大戦中は、戦争による被害がそれほど激しくなかったため、リーグは中断されることなく、規模の縮小を除いて通常通り開催されていました。

そのために、開催数ではイングランドのリーグよりも多いんです。

このリーグは、現在12チームから構成されています。
まずは、1節〜33節まで、総当たりの対戦を3周行います。

そして、34節〜38節まで、上位グループ・下位グループが6チームに分かれて対戦し、優勝チーム、降格チームを決めるというやや特殊な方式です。

上位グループの試合を優勝プレーオフ、そして、下位グループの試合を降格プレーオフと呼びます。

サッカーの母国・英4協会の一角として、かつてはイングランドのライバルとう位置づけで高い人気を誇っていました。

しかし、20世紀も後期になるにつれ、他の欧州各国リーグの発展・向上、そして、経済力で優位に立つプレミアリーグとの差が広まるなどし、徐々に海外からの評価・人気に陰りが生じることに。

しかし、それも21世紀に入ると、CLなどでセルティック、レンジャーズの2大クラブが徐々に存在感を出し始めます。

さらにハーツ、アバディーン、ハイバーニアンなども国内で復調しはじめ、少しずつですが人気や評価が見直されつつあるようです。

セルティックのユニフォーム

セルティックのユニフォームは、数あるサッカークラブのユニフォームの中でも、かなり人気が高いのではないでしょうか。

私もセルティックのあの緑と白の横縞のユニフォームは、好きなユニフォームのひとつですね。
それでは、そんなセルティックのユニフォームについて少し解説してみたいと思います。

ユニフォームのエンブレムには四ツ葉のクローバー。
これはシャムロック(シロツメクサのことです)の葉で、アイルランドの国花でもあるんです。

アイルランド人がこよなく愛しているシャムロックは、政治や宗教による対立などとは全く無縁の存在です。

シャムロックはアイルランドの原野を覆うかのように群生していて、アイルランドはその美しさゆえ、「エメラルドの島」とも呼ばれています。

セルティックのユニフォームのエンブレムには幸運の象徴、また、カトリックの十字架に見立てられた四ツ葉を採用しました。

このエンブレムは、クラブ創設時から使われていましたが、ユニフォームに初めて採用されたのは1977年になってときのことでした。

「The Hoops」の愛称のように、横縞のユニフォームデザインもクラブ創設時からのものです。
やはりというべきかアイルランド国旗の色から採用していて、緑はカトリック、そして、白は平和を象徴します。

ちなみに、アイルランド国旗はオレンジを加えたものですが、オレンジはプロテスタントを表現する色ですので、カトリック系であるセルティックのユニフォームには採用されていません。

監督のゴードン・ストラカン

セルティックの監督には、05−06シーズンからゴードン・ストラカンが就任しています。

「中村俊輔獲得に動いた男」として日本でもサッカーファンの間では有名なのではないでしょうか。
では、彼は一体どのような監督なのでしょうか?

現役時代はセルティックでのプレー期間こそないものの、様々なクラブでプレーし、そのプレースタイルは右サイドの技巧派プレイヤーとして知られています。

スコットランド代表でも50キャップを重ねた実績があります。

実はストラカンは、小学生の時にペンを右目に突き刺し、視力障害を負い、失明状態だったそうです。
しかし現役時代は、その事実を隠し続けたままプレイを続け、イングランド年間最優秀選手を獲得。

それだけにとどまらず、スコットランドサッカー協会殿堂という栄誉を獲得するほどの選手になりました。
当然、片目が半盲でこれらの栄誉を手にした選手は、ストラカンただ一人です。

現役引退後は、プレミアリーグ・サウサンプトン監督を経て、05−06シーズンからセルティックの監督に就任。
就任後は、わずか1年でリーグ戦優勝と欧州CL出場権獲得を果たします。
翌06−07シーズンも、2位レンジャーズに圧倒的大差をつけて首位独走。

そのまま大差を維持し、リーグ連覇を達成しました。
このシーズンのCL予選では、マンチェスターユナイテッドをホームで撃破するなど、見事CLベスト16に進出します。

これらの手腕が評価され、06年、07年に2年連続国内最優秀監督賞を受賞しています。

元キャプテンのニール・レノン

その存在が日本でもメジャーになってきたセルティックですが、印象に残る選手が多いですね。

先日移籍してしまいましたが、セルティックのキャプテンを務めていたニール・レノンもそのひとりです。

彼は元北アイルランド代表のMFで36歳の大ベテランです。
プレイスタイルは守備で貢献できるタイプの選手で、パスは正確とはいっても、それほどリスクを負うロングフィード、サイドチェンジは見られないですし、ドリブルも滅多にしません。

シュートを打つことも本当に稀で、ミドルシュートでゴールを決めた際は、サポーターの盛り上がりが特に凄く、選手でさえも驚いたような表情で喜びの輪を作ったことがあります。

守備のときもたまに気が抜けてしまい、相手をルーズにしてしまうこともありますが、相手を荒々しく潰すのは得意分野でした。

そして最もポイントといえるのは、チームと言う意味での彼の存在の大きさでしょうか。

敵味方を問わず、怒鳴り散らすなど、威圧的なスタイルは個性的な武器であり、チームを鼓舞する利点を与えてくれます。

反面、熱くなりすぎてカードをもらってしまうというデメリットもあるのですが。

まさしく一芸をもった選手でしょう。

日本で言えば、鹿島アントラーズの本田泰人(攻撃力が無い)と柱谷哲二(闘将。熱い。)をミックスさせたような選手・・・のような感じでしょうか。

輝かしいプレーはなくても、ピッチ上で垣間見せる人間性は、セルティックサポーターの心を熱くさせてくれたと思います。

そんなレノンの退団は本当に残念でなりません。

元セルティックの名選手ジミー・ジョンストン

セルティックにかつて在籍していたジミー・ジョンストンという名選手を知っていますか?

それでは、02年9月にセルティックサポーターのオンライン投票で、「セルティックで史上最も偉大な選手」にも選ばれた彼について少し紹介してみます。

ジョンストンは1944年にスコットランド・グラスゴーの南に位置するアディングストンに生まれ、1961年にセルティックの選手になりました。

1965年にジョック・ステインが監督に就任してからは、メキメキ頭角を現すようになります。

そして、ジョンストンはセルティックを66年から74年までなんと9年連続でリーグ優勝に導きます。

ジョンストンは数多くの素晴らしい試合をしましたが、彼が絶大な信頼を得ているのはライバルのレンジャーズ戦で大活躍をするからです。

結局、ジョンストンは515試合もの試合出場を果たし、ゴールは129得点を数えました。

75年にセルティックを退団し、その後も複数のクラブでプレーをしましたが、セルティック時代が彼の最盛期だったといえるでしょう。

ジョンストンはプレーヤーとしても偉大でしたが、引退後もそのユーモア溢れる人柄で、たくさんのセルティックサポーターに愛されました。

その後、運動神経系障害で、06年3月にジョンストンはその生涯を閉じます。

同年3月にCIS杯決勝で勝利し、その優勝セレモニーにおいて、セルティックの選手全員がジョンストンがつけていた背番号7をつけてカップを受け取りました。

このことからも彼がいかに愛されていたかが分かりますね。

セルティック・創設の歴史と理念

スコットランドだけではなく、全世界的に有名なサッカークラブのセルティック。
そんなセルティックの創設の歴史や理念はどのようなものなのでしょうか。

クラブの創設は1888年にさかのぼります。
フットボールの試合によって得た収益金を用いて、貧困にあえいでいるアイルランド移民に対する救済を目的に創設されたそうです。

創設したのはブラザー・ウォルフリットという人物で、やはりアイルランド人の牧師だった方です。

セルティックはビジネスだけを重視するフットボールクラブでなく、地域に密着した慈善活動をベースとしており、地域社会への貢献を常に考えています。

セルティックの誇りというべきことは「フットボールを通じて恵まれない移民を救う」ということです。

そしてその理念は、創設から120年経過した現在においても崩れることはなく、受け継がれているのです。

名称のセルティックとは、ケルト、またはケルト人の、ケルトに属する、を意味します。

ケルト系のアイルランドと同じで、チームカラーには緑と白、そして、エンブレムのシャムロックなどケルト色を打ち出しています。

エンブレムにある四つ葉のクローバーですが、これは幸福の象徴として、創設当時からずっと使用されています。

セルティックは心、家族、そして人生全て、自分の体には緑色の血が流れている・・・という風にセルティックのサポーターであることを誇るサポーター。

そのファミリーからの大きな声援を受けて、選手たちはピッチに立ち、そして、その声援が選手の力を奮い立たせる大きな源となっているのです。

セルティック、輝かしい栄光の軌跡

セルティックは、その長い歴史の中で、実に数々のタイトルを手中にしてきています。
では、それらセルティックの輝かしい軌跡について紹介してみますね。

スコットランドリーグ(スコティッシュプレミア)優勝はなんと41回にものぼります。

優勝回数50を越えるライバルのレンジャーズには及びませんが、近年はそれに迫っていく勢いで優勝を重ねています。

さらに、国内カップ戦であるスコティッシュ杯は34回優勝。
リーグカップCIS杯に13回優勝。

国内は完全にこの2強が覇権を争っているという感じですね。

そして、現在の欧州チャンピオンズリーグであるチャンピオンズカップにも1度優勝経験があります。

ジョック・ステイン監督率いる1967年のチャンピオンズカップにおいてはイギリス勢で初の優勝となりました。

これはセルティックサポーターにとっても、大きな誇りとなっているようですね。

また、近年もチャンピオンズリーグでは好成績をあげています。
2006〜7シーズンのマンチェスターU戦において、記憶に新しい中村俊輔がFKを決めてのCL決勝トーナメント進出は、実はセルティック史上初の快挙なんです。

そして今季(2007−8)についても好調をキープし、決勝トーナメントに2年連続出場が決定しています。

決勝トーナメントは2、3月にスペインの名門・バルセロナとの対戦が決定しています。
快進撃に期待したいところですね。

名門セルティックはこれからもきっとタイトルを増やし続けていくことでしょう。

セルティックの歩み(1800年代)

セルティックは、実に100年以上にもおよぶ長い歴史と伝統を誇っています。
では、そんなセルティックFCの歩みについて簡単にみていきましょう。

今回は創設初期の1800年代のセルティックの歴史について簡単にですが書いてみますね。

1887年11月:セルティックFC創設。

現在のフォーブス通りにあたるイーストローズ通りのセントメアリー教会ホールにて、グラスゴー・イーストエンド教区における貧困軽減を目的に正式に創立されました。

1888年5月:「親善試合」でのちのライバルとなるレンジャーズに5−2で勝利。
新クラブとしての初戦であり、最初のセルティックパークで行われました。

1889年:
最初のフルシーズンですが、セルティックはスコティッシュ杯決勝へ駒を進めるも、サード・ラナークに敗れました。

しかし、ノースイースタン杯という地元の大会でカウリアーを下して初のトロフィーを獲得することになります。

1892年:
アイブロックスパークにて行われたスコティッシュ杯決勝で、クイーンズパークを制し、初優勝を果たします。

そして、この数ヵ月後、現在のグラウンドに移動しました。

1893年:
スコティッシュリーグのチャンピオンシップに初優勝を果たします。

1897年:
クラブは有限会社となって、ウィリー・マレーが監督に任命されました。

19世紀のセルティックはこのような流れです。
あらためて見て、19世紀からチームが存在しているというのは凄いことですよね。

セルティックの歩み(1900年代前半)

セルティックの歩みについて簡単に見ていきましょう。
今回は1900年代前半のセルティックの歴史について簡単にですが書いてみます。

1905年−1910年:この期間はなんと6シーズン連続リーグチャンピオンシップ優勝という偉業を成し遂げます。


1907年:スコティッシュ杯、リーグチャンピオンシップに優勝し、「2冠」を達成することに。
これはスコットランドにおけるスポーツの歴史上で初の栄光となるんです。

クラブは次シーズンもこの栄光を手にすることになります。

1914年−1917年:4年連続チャンピオンシップ優勝。
この頃は完全にセルティックの時代という感じでしょうか。


1937年:スコティッシュ杯決勝でアバディーンに勝利。
ハンプデンパークにて行われたこの試合には、新記録となる146,433人もの観衆が集まりました。

この動員数(147,365人との報告もあります)は、ヨーロッパでのサッカークラブの試合記録として今も残っているんです。

1939年:アイブロックスで開催されたエンパイアエキシビジョン杯決勝で、セルティックは延長戦の末に1−0でインドランドのエバートンに勝利し、トロフィーを獲得します。

1940年:セルティックの元選手であり、キャプテンも務めたジミー・マクグローリーがジミー・マクステイから監督の座を引き継ぐことに。

それにしても動員記録は凄いですね。
14万人が入ったスタジアムとはどのような感じだったのでしょうかね・・・。

セルティックの歩み(1950〜60年代)

1950〜60年代のセルティックの略歴を書いてみます。

1953年:コロネーション杯で、ハイバーニアンを下し優勝。
この大会にはスコットランド、イングランドのベストクラブが招待され、決勝戦には117,000人の動員があったようです。

本当に桁違いの動員ですね・・・。

1956年:セルティックはパトリック・シスルに勝利し、念願のリーグ杯初制覇を果たします。

1957年:リーグ杯決勝で、レンジャーズに7−1で圧勝するという結果でタイトルを維持します。

1964年:2度目のヨーロッパ大会参戦のヨーロピアンカップウィナーズ杯において、準決勝まで勝ち進むも、MTKブダペストに2試合トータルスコア3−4で敗退。

1965年3月;ジミー・マクグローリーからジョック・ステインが新監督に就任し、スコティッシュ杯決勝を制し、11年ぶりにクラブを優勝へと導きました。

ビリー・マクニールのヘディングシュートが劇的な決勝点となり、ダンファームリンを3−2で下しました。

1966年:12年ぶりにチャンピオンシップ獲得を果たし、また、カップ・ウィナーズ杯準決勝まで再び勝ち進むも、2試合トータルスコア1−2でリバプールの前に敗れてしまいます。

1967年:
出場した5つの大会において全て優勝という、クラブ史上最も栄光あるシーズンを終えます。

シーズンのクライマックスは、5月25日にエスタディオ・ナシオナル(リスボン)で開催されたヨーロピアン杯決勝で、インテル・ミランに勝利したことです。

セルティックは、欧州で最も熱望されていたトロフィーを手にしたイギリスで初のチーム(ラテン以外)となりました。

セルティックの歩み(1970年代)

セルティックの1970年代についてです。

1970年:ヨーロピアン杯決勝に再び駒を進めるも、ミラノでのこの試合は延長の末にフェイエノールトに敗れます。

リーズとの準決勝では、2戦とも勝利を収めましたが、ハンプデンパークでの2試合目は、なんと133,961人の欧州クラブ最多動員数を記録することに。

1972年:ヨーロピアン杯準決勝に3回目の進出を果たすも、パークヘッドでの対インテル戦で、PK戦の末、敗退する。

1974年:9季連続リーグチャンピオンシップ優勝を果たします。
これは当時、国内のタイトルでの世界記録タイでした。

チームはヨーロピアン杯準決勝へ4回目の進出となるも、アトレチコ・マドリーに2試合トータル0−2で敗れました。

1978年:67年のキャプテンだったビリー・マクニールがジョック・ステインに代わって新監督に就任。

ステインが率いた12年間(75〜76シーズンの事故による負傷の療養期間は除く)で、クラブは主要大会で25回もの優勝を重ねるという成功を収めることに。

1979年:マクニールは、監督就任初年度にしてクラブをチャンピオンへと導くことに。

セルティックパークでのクラブ最終戦で、ライバル・レンジャーズを下すという、劇的な形でのタイトル獲得となりました。


この頃はまさにセルティックの時代といっても過言ではないほどの成績をあげていましたね。

セルティックの歩み(1980年代)

セルティックのこれまでの歩みを簡単にですが見ていきましょう。
今回は1980年代のセルティックの歴史について書いてみますね。

1983年:元セルティックのプレーヤーであるデイビッド・ヘイがビリー・マクニールに代わって監督の座を引き継ぐことに。

1985年:ハンプデンパークにて開催された記念すべき100回目のスコティッシュ杯の決勝において、ダンディー・ユナイテッドを下して見事優勝を果たす。

1986年:チャンピオンシップ大会最終日にハート・オブ・ミドロシアン(ハーツ)を僅差で振り切り、優勝を成し遂げます。

ラブ・ストリートでセルティックはセント・ミレンに5−0で大勝し、一方、ハーツはデンズ・パークで後半にダンディーから2点を奪われてしまい、結果、セルティックがゴール差で優勝を飾る。

1987年:デビッド・ヘイに代わってビリー・マクニールが再度監督に就任することに。

1988年:クラブ創設100周年にあたるシーズンを11年ぶりに「2冠」達成で祝福。
これで実に35回目のリーグタイトルと28回目のスコティッシュ杯獲得となります。

1989年:ジョー・ミラーのゴールで宿敵レンジャーズを1−0で制し、29回目のスコティッシュ杯獲得を果たします。

ついにクラブは100周年を記録しますが、この年代も相変わらずの強さを発揮していますね。