セルティック・創設の歴史と理念

スコットランドだけではなく、全世界的に有名なサッカークラブのセルティック。
そんなセルティックの創設の歴史や理念はどのようなものなのでしょうか。

クラブの創設は1888年にさかのぼります。
フットボールの試合によって得た収益金を用いて、貧困にあえいでいるアイルランド移民に対する救済を目的に創設されたそうです。

創設したのはブラザー・ウォルフリットという人物で、やはりアイルランド人の牧師だった方です。

セルティックはビジネスだけを重視するフットボールクラブでなく、地域に密着した慈善活動をベースとしており、地域社会への貢献を常に考えています。

セルティックの誇りというべきことは「フットボールを通じて恵まれない移民を救う」ということです。

そしてその理念は、創設から120年経過した現在においても崩れることはなく、受け継がれているのです。

名称のセルティックとは、ケルト、またはケルト人の、ケルトに属する、を意味します。

ケルト系のアイルランドと同じで、チームカラーには緑と白、そして、エンブレムのシャムロックなどケルト色を打ち出しています。

エンブレムにある四つ葉のクローバーですが、これは幸福の象徴として、創設当時からずっと使用されています。

セルティックは心、家族、そして人生全て、自分の体には緑色の血が流れている・・・という風にセルティックのサポーターであることを誇るサポーター。

そのファミリーからの大きな声援を受けて、選手たちはピッチに立ち、そして、その声援が選手の力を奮い立たせる大きな源となっているのです。

セルティック、輝かしい栄光の軌跡

セルティックは、その長い歴史の中で、実に数々のタイトルを手中にしてきています。
では、それらセルティックの輝かしい軌跡について紹介してみますね。

スコットランドリーグ(スコティッシュプレミア)優勝はなんと41回にものぼります。

優勝回数50を越えるライバルのレンジャーズには及びませんが、近年はそれに迫っていく勢いで優勝を重ねています。

さらに、国内カップ戦であるスコティッシュ杯は34回優勝。
リーグカップCIS杯に13回優勝。

国内は完全にこの2強が覇権を争っているという感じですね。

そして、現在の欧州チャンピオンズリーグであるチャンピオンズカップにも1度優勝経験があります。

ジョック・ステイン監督率いる1967年のチャンピオンズカップにおいてはイギリス勢で初の優勝となりました。

これはセルティックサポーターにとっても、大きな誇りとなっているようですね。

また、近年もチャンピオンズリーグでは好成績をあげています。
2006〜7シーズンのマンチェスターU戦において、記憶に新しい中村俊輔がFKを決めてのCL決勝トーナメント進出は、実はセルティック史上初の快挙なんです。

そして今季(2007−8)についても好調をキープし、決勝トーナメントに2年連続出場が決定しています。

決勝トーナメントは2、3月にスペインの名門・バルセロナとの対戦が決定しています。
快進撃に期待したいところですね。

名門セルティックはこれからもきっとタイトルを増やし続けていくことでしょう。

セルティックの歩み(1800年代)

セルティックは、実に100年以上にもおよぶ長い歴史と伝統を誇っています。
では、そんなセルティックFCの歩みについて簡単にみていきましょう。

今回は創設初期の1800年代のセルティックの歴史について簡単にですが書いてみますね。

1887年11月:セルティックFC創設。

現在のフォーブス通りにあたるイーストローズ通りのセントメアリー教会ホールにて、グラスゴー・イーストエンド教区における貧困軽減を目的に正式に創立されました。

1888年5月:「親善試合」でのちのライバルとなるレンジャーズに5−2で勝利。
新クラブとしての初戦であり、最初のセルティックパークで行われました。

1889年:
最初のフルシーズンですが、セルティックはスコティッシュ杯決勝へ駒を進めるも、サード・ラナークに敗れました。

しかし、ノースイースタン杯という地元の大会でカウリアーを下して初のトロフィーを獲得することになります。

1892年:
アイブロックスパークにて行われたスコティッシュ杯決勝で、クイーンズパークを制し、初優勝を果たします。

そして、この数ヵ月後、現在のグラウンドに移動しました。

1893年:
スコティッシュリーグのチャンピオンシップに初優勝を果たします。

1897年:
クラブは有限会社となって、ウィリー・マレーが監督に任命されました。

19世紀のセルティックはこのような流れです。
あらためて見て、19世紀からチームが存在しているというのは凄いことですよね。

セルティックの歩み(1900年代前半)

セルティックの歩みについて簡単に見ていきましょう。
今回は1900年代前半のセルティックの歴史について簡単にですが書いてみます。

1905年−1910年:この期間はなんと6シーズン連続リーグチャンピオンシップ優勝という偉業を成し遂げます。


1907年:スコティッシュ杯、リーグチャンピオンシップに優勝し、「2冠」を達成することに。
これはスコットランドにおけるスポーツの歴史上で初の栄光となるんです。

クラブは次シーズンもこの栄光を手にすることになります。

1914年−1917年:4年連続チャンピオンシップ優勝。
この頃は完全にセルティックの時代という感じでしょうか。


1937年:スコティッシュ杯決勝でアバディーンに勝利。
ハンプデンパークにて行われたこの試合には、新記録となる146,433人もの観衆が集まりました。

この動員数(147,365人との報告もあります)は、ヨーロッパでのサッカークラブの試合記録として今も残っているんです。

1939年:アイブロックスで開催されたエンパイアエキシビジョン杯決勝で、セルティックは延長戦の末に1−0でインドランドのエバートンに勝利し、トロフィーを獲得します。

1940年:セルティックの元選手であり、キャプテンも務めたジミー・マクグローリーがジミー・マクステイから監督の座を引き継ぐことに。

それにしても動員記録は凄いですね。
14万人が入ったスタジアムとはどのような感じだったのでしょうかね・・・。

セルティックの歩み(1950〜60年代)

1950〜60年代のセルティックの略歴を書いてみます。

1953年:コロネーション杯で、ハイバーニアンを下し優勝。
この大会にはスコットランド、イングランドのベストクラブが招待され、決勝戦には117,000人の動員があったようです。

本当に桁違いの動員ですね・・・。

1956年:セルティックはパトリック・シスルに勝利し、念願のリーグ杯初制覇を果たします。

1957年:リーグ杯決勝で、レンジャーズに7−1で圧勝するという結果でタイトルを維持します。

1964年:2度目のヨーロッパ大会参戦のヨーロピアンカップウィナーズ杯において、準決勝まで勝ち進むも、MTKブダペストに2試合トータルスコア3−4で敗退。

1965年3月;ジミー・マクグローリーからジョック・ステインが新監督に就任し、スコティッシュ杯決勝を制し、11年ぶりにクラブを優勝へと導きました。

ビリー・マクニールのヘディングシュートが劇的な決勝点となり、ダンファームリンを3−2で下しました。

1966年:12年ぶりにチャンピオンシップ獲得を果たし、また、カップ・ウィナーズ杯準決勝まで再び勝ち進むも、2試合トータルスコア1−2でリバプールの前に敗れてしまいます。

1967年:
出場した5つの大会において全て優勝という、クラブ史上最も栄光あるシーズンを終えます。

シーズンのクライマックスは、5月25日にエスタディオ・ナシオナル(リスボン)で開催されたヨーロピアン杯決勝で、インテル・ミランに勝利したことです。

セルティックは、欧州で最も熱望されていたトロフィーを手にしたイギリスで初のチーム(ラテン以外)となりました。

セルティックの歩み(1970年代)

セルティックの1970年代についてです。

1970年:ヨーロピアン杯決勝に再び駒を進めるも、ミラノでのこの試合は延長の末にフェイエノールトに敗れます。

リーズとの準決勝では、2戦とも勝利を収めましたが、ハンプデンパークでの2試合目は、なんと133,961人の欧州クラブ最多動員数を記録することに。

1972年:ヨーロピアン杯準決勝に3回目の進出を果たすも、パークヘッドでの対インテル戦で、PK戦の末、敗退する。

1974年:9季連続リーグチャンピオンシップ優勝を果たします。
これは当時、国内のタイトルでの世界記録タイでした。

チームはヨーロピアン杯準決勝へ4回目の進出となるも、アトレチコ・マドリーに2試合トータル0−2で敗れました。

1978年:67年のキャプテンだったビリー・マクニールがジョック・ステインに代わって新監督に就任。

ステインが率いた12年間(75〜76シーズンの事故による負傷の療養期間は除く)で、クラブは主要大会で25回もの優勝を重ねるという成功を収めることに。

1979年:マクニールは、監督就任初年度にしてクラブをチャンピオンへと導くことに。

セルティックパークでのクラブ最終戦で、ライバル・レンジャーズを下すという、劇的な形でのタイトル獲得となりました。


この頃はまさにセルティックの時代といっても過言ではないほどの成績をあげていましたね。

セルティックの歩み(1980年代)

セルティックのこれまでの歩みを簡単にですが見ていきましょう。
今回は1980年代のセルティックの歴史について書いてみますね。

1983年:元セルティックのプレーヤーであるデイビッド・ヘイがビリー・マクニールに代わって監督の座を引き継ぐことに。

1985年:ハンプデンパークにて開催された記念すべき100回目のスコティッシュ杯の決勝において、ダンディー・ユナイテッドを下して見事優勝を果たす。

1986年:チャンピオンシップ大会最終日にハート・オブ・ミドロシアン(ハーツ)を僅差で振り切り、優勝を成し遂げます。

ラブ・ストリートでセルティックはセント・ミレンに5−0で大勝し、一方、ハーツはデンズ・パークで後半にダンディーから2点を奪われてしまい、結果、セルティックがゴール差で優勝を飾る。

1987年:デビッド・ヘイに代わってビリー・マクニールが再度監督に就任することに。

1988年:クラブ創設100周年にあたるシーズンを11年ぶりに「2冠」達成で祝福。
これで実に35回目のリーグタイトルと28回目のスコティッシュ杯獲得となります。

1989年:ジョー・ミラーのゴールで宿敵レンジャーズを1−0で制し、29回目のスコティッシュ杯獲得を果たします。

ついにクラブは100周年を記録しますが、この年代も相変わらずの強さを発揮していますね。

セルティックの歩み(1990年代前半)

セルティックの1990年代前半の略歴です。

1991年:リアム・ブレイディーがビリー・マクニールに代わって監督の座を引き継ぐことに。

彼はクラブの長い伝統を打ち破る、クラブの歴史で初のセルティックの元プレーヤーでない監督になります。

1993年:セルティックの元プレーヤー、ルー・マカリがリアム・ブレイディーに代わって監督に就任する。

1994年:
海外在住ビジネスマンとセルティックのサポーターであるファーガス・マッカンは、セルティックと縁のある役員を含んだ重役を追い出し、経済的負担を伴ったクラブの経営権を獲得することに。

この直後、元セルティックプレーヤーのトミー・バーンズがルー・マカリに代わって監督に就任します。
そして、マッカンの5か年計画に従って、セルティックは公開有限会社として再度構成することになる。

クラブの発展に続いて、財政再建に1万人が最低で620ポンドの投資を引き受けて、1400万ポンドを寄与するといった、イギリスサッカー史上で最も成功した株式発行となります。

1995年:
セルティックパークの改築工事(動員収容数は60500人で全着席タイプ)の第一段階が行われる94〜95年のシーズン中、ホームの試合はハンプデン・パークで行うことに。

スコティッシュ杯決勝では、エアードリオニアンズを制し、30度目の栄光に輝き、また、1989年以来となるトロフィーを獲得し、「スタジアムからの追放」は終了しました。

セルティックの歩み(1990年代後半)

セルティックの1990年代後半の略歴はこんな感じでした。

1997年:
70年にミラノで開催されたヨーロピアン杯において、皮肉にもセルティックを下したフェイエノールトのコーチであるビム・ヤンセンがトミー・バーンズに代わって監督に就任しました。
ヤンセン率いるセルティックは、アイブロックスパークでのコカコーラがスポンサーの大会にて、ダンディーユナイテッドを下し、チームを15年ぶりのリーグ杯優勝に導きました。

1998年:ヤンセンは引き続きクラブを指揮し、88年以来となる久々のスコティッシュリーグ杯獲得を果たします。

そして、セルティックの記録である9連続タイトル獲得をライバル・レンジャーズから守りきりました。

しかし、ヤンセンはすぐ直後に監督を辞任し、今度は国際試合の経験豊富なコーチであり、チェコスロバキア監督でもあった、ジョゼフ・ベングロシュが新監督に就任することに。

1999年:マッカンが5か年計画を終了して、4月に辞職。
そして、元ブリティッシュエアロスペース代表取締役だったアラン・マクドナルドが最高責任者に就任します。

この数ヵ月後、ベングロシュは退団し、元イングランド代表プレーヤーであったジョーン・バーンズが新監督に就任することに。

バーンズは、元セルティック選手であるケニー・ダルグリッシュの下で、ヘッドコーチの任務を引き受けて、その後、人事担当主幹に就任します。

セルティックの歩み(2000〜01年)

セルティックの2000年〜2001年の歩みです。

2000年:
2月に開催されたスコティッシュ杯で、格下のインバネスカレドニアンシッスルに敗れ、ジョーン・バーンズ監督が辞任してしまいます。

チャンピオンシップにおいてはレンジャーズに続く2位になるが、得点差がなんと21点と大差をつけられて99/00年シーズンを終える結果に。

夏にはマーティン・オニールが新監督に就任し、ダルグリッシュの辞任直後に全面的なサッカーの指揮官となる。

オニールは、イングランドのクラブと関係を持つ監督として、非常に素晴らしい評判を確立します。
8月のセルティックパークでのレンジャーズ戦では、6−2の快勝をもたらし、サポーターから慕われるようになります。

これは監督自身、そしてセルティックの未来に大きな期待を予期する前兆となるのです。

2001年:
2月にレンジャーズとの連戦(ハンプデンでのリーグ杯準決勝、セルティックパークでの対戦)で連勝に成功します。

3月には、リーグ杯でヘンリク・ラーションのハットトリックでキルマーノックを制し、シーズン初のトロフィー獲得を果たし、タイトルを維持することに成功。

4月の終わりには、残り5試合の時点でリーグ・チャンピオンシップを獲得し、さらにセルティックは、レンジャーズに6年ぶりとなるアウエーでの勝利を果たす。

得点王のラーションは、この試合でなんとシーズン50得点目を記録することになります。